あの白州次郎氏も「錫の酒器」を愛用していた

 

白州次郎(1902〜1985)

180センチを超す長身、際立った美貌。
1919年、17歳でケンブリッジ大学に留学し、
英国紳士としての教養とマナーを身につけ、
日本語より英語を得意とした。

吉田首相の片腕としてGHQとの交渉にあたり、
日本の独立と復興に全力を尽くす。
「日本は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない」と、いつ、どんな時も、誰に対しても毅然とした態度を貫いた。

東北電力会長、大沢商会会長、大洋漁業/日本テレビ社外役員。軽井沢ゴルフ倶楽部理事長。

夫人の白州正子は能・骨董に特に造詣が深く、著名なエッセイストでもあった。

 

晩年は正子夫人と共に、鶴川村能ヶ谷(現・町田市能ヶ谷町)に茅葺の農家<「武相荘」と名付ける>を買い、「隠居」生活を始める。ゴルフを愛し、シングルモルト・ウイスキィーを愛飲し、晩年までポルシェ911などの車を乗り回した。そして日本酒は愛用の「錫の酒器」で燗酒を楽しんでいた・・・
<「白州次郎」コロナ・ブック/平凡社>より

「白州次郎」コロナ・ブック
平凡社(表紙・次郎/49歳)
好みのスコッチ・ウイスキィー
”ブラック・ボトル”と手製の
そのボトルから作ったグラス
次郎愛用の「錫の酒器」
<コロナ・ブック/107頁より>

「錫の酒器」なら何と50秒で熱燗に・・・

  次郎愛用の「錫の酒器」には、全てに自分のこだわりを貫いた彼一流の錫器への思いが込められている。

❑燗上がりが早い為、酒の旨味を損なわい
  <湯煎で熱燗が50秒・・他の素材では無理>

❑酒がまったりとして、酒の旨味を増す
  <錫のイオン効果とされている>

❑冷酒にも、急冷効果がバツグンである
  <燗上がり同様、錫の熱伝導率の良さから>

※左側写真の酒器は次郎愛用の「錫の酒器」と同タイプの錫製「大腰」(ゆり工房所蔵)です。

 

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◎法善寺横丁「正弁丹吾亭」でも創業(明治26年)当時から「錫の酒器」を・・・

句碑の並ぶ「正弁丹吾亭」
織田作之助”夫婦善哉”にも出てくる大阪の老舗割烹の旧佇まい
店内の”お燗場”での「錫の酒器」
今も燗酒はこの「タンポ」にて供される
上燗屋、へぃへぃへぃと
さからわず”(句碑より)

 

○”微妙な燗の見極めが出来、燗上がりが早い酒器”・・・今も変わらず「錫の酒器」

平成14年道頓堀中座全焼時に消失した「正弁丹吾亭」は、翌年には空間デザイナー間宮吉彦氏の設計により無事リニューアルされ、旧の佇まいの和の雰囲気を残しながらも新しいイメージで復活しました。
しかも新しいお店に於いても、燗酒には「錫の酒器<タンポ>」(上写真・中央)が継続して使われており、お酒を大事にして来た創業の精神を今も見事に受け継いでいます。

大阪では”お酒を大事に燗をしてお客様の注文に応えるお店”のことを特に「上燗屋」と称しました。
入口の句碑(上記写真・右側)からも”お客の注文に応えるべく、お酒の燗をしていた様子が・・”伺え知れます。ひと口に”お酒を燗する”と言いましても、お客により又お酒により微妙な好みの温度があり、
上燗屋を目指すと言いましても中々難しいことだそうです。(下記の燗温度グラフ参照)

”お燗場”で銅壷(どうこ)<お酒を湯煎する道具>を任される人は、湯に浸した「錫の酒器」に触れた指の熱さから燗の見極めをしたと言われています。<今は酒燗器と言う便利なものがあるようですが・・・>